on my way office from construction

ども、姫路で輸入住宅を扱っていますスウェーデンホーム場長です。
以前から気になっていた遺跡跡 この前、営業中に撮影してきました。
布勢駅家
たつの から 上郡に抜ける道にあるんです。 布勢駅家です。
何と律令国家時代のものなんですね~ スゲエ!!

駅家(えきか/うまや)とは、古代日本の五畿七道の駅路沿いに整備された施設。
単に駅(えき)とも称する。

厩牧令によれば、原則として30里(現在の約16キロメートル[1])ごとに駅家が設置され、
駅路に面して駅門を開き周りを築地で囲む構造(「院」)になっていたことから、
「駅家院」と記される場合[2]もあった。

兵部省の管轄下にあり、実際の運営には現地の国司も関与していた。
駅家の運営・修繕のために当初は駅稲(駅起稲)より、官稲混合後は現地国の正税より出挙が行われ、
その利息が財源に充てられた。

ただし、その体制は天平宝字年間には早くも揺らぎ始め、
駅子・駅馬の疲弊や官人の規定に反する違法乗用などが確認されている。


兵庫県たつの市の小犬丸遺跡は発掘調査の結果、山陽道の播磨国布勢駅家であることが確認されたが、
こうした事例は少ない。その背景には郡家が駅家の業務を兼ねているものや
駅長の私宅が駅家に充てられたものも少なくなかったために、
駅家の施設部分とそれ以外の部分
(郡家施設や駅長およびその家族の私的空間)との判別が困難なことによる。


確かに今は山陽道が整備されて中々通りませんが、龍野城~揖西~上郡の流れですもんね。
龍野~揖西~上郡は 赤松円心が新田義貞を迎え撃つ重要な拠点のラインで、
昔はメインストリートだったんでしょうね。

ここで、新田義貞を抑えた為、足利尊氏は九州で兵力を建て直し、摂津湊川の戦いで建武軍を
破ります。 

その時に褒美として赤松円心は足利尊氏から二引両の家紋を賜り、
以降、右上り三つ巴と共に赤松の紋となります。

僕もこの二引両紋の末裔なので、ご先祖様もこの道を通ったのだろうか?
すうぇーでん
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