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朝から出会った歴史

ども、姫路加古川で輸入住宅をあつかっていますスウェーデンホーム場長です。
今日は朝から本社の全体会議だったのですが、改装現場の入工が朝からあったので
抜けて現場へ… 9時からだったので、時間が少しあったので、ローン用の処理をしに
姫路市役所にいきました。 そしたらこんな募金が!!
姥が石
姫路城の大規模修繕の募金でした。 平成の ”姥が石” ってネーミング。

羽柴秀吉が三重の天守閣を築いたころの話です。
中国地方十カ国を支配する大名・毛利を攻める織田信長軍の
大将として播磨に乗り込んできます。

播磨の主な城を次々と攻め落とし、特に、
三木城の戦いは2年にもおよぶ激しいものでした。
1580年、織田軍の味方であった姫路城主・黒田官兵衛孝高は城を秀吉に明け渡します。

城に入った秀吉はすぐに、古くて小さい城の改築に取り組みます。
「毛利攻めはこれからが本番。立派な城にしたい」と、秀吉の思いをこめた城でした。
縄張りを考え、普請(土木工事)が終ると、家来たちに石垣用の石を集めさせますが、

なかなか集まりません。城下にも石垣の石が集まらないとの話が伝わり、
それを聞いた一人のお婆が「何かお役に立ちたい」といろいろ考えていたとき、
店の片隅に古くなった石臼(いしうす)があったことを思い出し、
「せめてこれでも役に立つのなら」と差し出した石臼を秀吉は誰よりも喜びました。

この話が城下の評判となり、人びとが競って石を寄進し、工事も順調に進んだということです。
この石臼は、今もお城にあり、乾の小天守の北側の石垣にあり、お婆の石という意味で「姥が石」
と名付けられています。


この故事にあやかり、平成の姥が石… 凄いなあ~ ってことで私も朝から100円
募金しました(ケチよね、1000円行こうと思ったが…)

この話からすると、秀吉の建てた姫路城は連立小天主の一つ、乾櫓がそれとなりますが、
実際はそうじゃないみたいです。 もしかしたら、石垣だけを再利用したのでしょうか???

himejijyoubagaishi1.jpg
姫路城、早く修繕されたらいいのにな~ シンボルが足場に覆われているのは
やっぱり淋しいもんですな。

しかし、流石は太閤秀吉ですよね。 彼の小さな故事が今こうやって、大規模改修の
キャッチフレーズになるんですから…

僕も木綿藤吉といわれた秀吉様くらい働かないと!!
すうぇーでん
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テーマ : 仕事日記 - ジャンル : 就職・お仕事

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