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地鎮祭で発見した地域の凄い遺跡

今日は朝から地鎮祭でした。 天気もいいし日もいい(大安)
新宮で地鎮祭でしたので、朝から設計のM君の車で行きました。
現場に着き、準備をして、ちょっと裏を見たら何か竪穴式住居が見える???
竪穴式住居


現場調査をした際は、道路付けや、日照、通風などは確認しましたが、
竪穴式住居??

で、行って見たら、こんな遺跡でした。
新宮宮内遺跡
凄い! 全然知らなかった。 こんな遺跡があるなんて…
新宮は僕の山陰サーフィンの道中なのですが、新宮の外れの179号線を行くので
気付かない… しかしまあ…

凄く広い遺跡でした。 竪穴式住居や墳墓など…
濠
しかしこんな濠もあったので、集落と言う意味合いの他に、城塞的なイメージもあったのでしょう。
証拠に、矢が刺さりまくった弥生戦士の墓もありました。
弥生戦士の墓

矢が刺さってる=戦がある=人のものを奪う=ものがる=狩猟生活から水稲耕作の定住に変わってる。
って事なんでしょうね。 古代の水稲耕作において、用水を開発するなんてとんでもない事なので、
揖保川河川流域… なんとなく頷けます。

しかも、もう少し下って赤穂の有年の辺りにもこんな遺跡があり…
これも千種川流域… 定住し水稲耕作を始め、保存が効く食料が確保できれば
獲物を追う狩猟生活とはオサラバなんでしょうが、保存が効くものの奪い合い…

どうもこの播磨地方と言うのは古代の吉備王朝や出雲王朝、大和王権の狭間にあり、
どこかに属すると言うスタンスを取りながら、争いが絶えなかったんでしょうね。
我々が歴史で習った古代史は350年前後に大和朝廷が日本を統一したとの事でしたが、
実際は足利幕府宜しくどっちかと言うと大きい連合国家くらいだったんでしょう。

僕がサーフィンに行くルートは
姫路→たつの→新宮→佐用→粟倉→大原→智頭→鳥取

昔で言うと
播磨→美作→因幡

古代で言うと
畿内→吉備→出雲

しかも距離の割には下道でも非常にアクセスが良い
(最近は佐用から一気に上で鳥取ですけどね… 楽だけど味気ない)

だからこの播磨地方は大和にも吉備にも出雲にも利便性が良く、
たつのや加古川あたりで、吉備と大和の境がしょっちゅう変わってたようで、
最前線かつ穀倉地帯だったんでしょうね。

古代でも多分倭国大乱なんてのはこの辺で起こったでしょうし、
源平合戦でも、摂津~備中が戦いのメインになる(摂津一の谷、備中藤戸)

足利尊氏VS朝廷も、正にこの辺りが主戦場(赤松円心の勢力下)
足利尊氏の観応の擾乱も播磨が主体。 その後の嘉吉の乱も(赤松満祐)

そして羽柴秀吉の中国征伐も佐用上月城が前線。
反乱で三木の別所長治が主戦。

古代も中世も大きな力はないにせよ、主戦場だったんでしょうね。

こんな事を考えながら波乗りに行くと色々楽しくなります。

道もどんどん整備され、ずっと街を見下ろす高速道路でサーフポイントまで
行けるのは凄い便利ですが、道中にあるこんな遺跡を見ることがなくなります。

しかし、営業をしていてその建設地の風土に触れ、歴史を感じる事は
凄く楽しいです。



すうぇーでん
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テーマ : ひとりごとのようなもの - ジャンル : 日記

コメント

No title

鳥取の向こうは朝鮮。GO。

確かに…

一時鳥取に芸能界で流行ってるへんな薬が大量
に流れ着いたのは、サーフポイント…

日朝間が緊張したときは、米子の自衛隊の基地
からしきりに飛行機が沿岸を偵察していた。

今でも小さい船が近づいてくると、特殊工作船?
と思う僕はチキン…
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