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昨日仕事中に出会った歴史

昨日は夜から、チラシの宅配&飛込みをしていました。
若い頃は、社宅や集合住宅に家要りませんか? って感じでずーっと行ってました。

昨日は、丁度その仕事中でした(場長といえど営業である以上、自力開発はしないと…)
久しぶりにとある集合住宅へ行ったらこんな碑が!!

青山合戦跡2
黒田官兵衛古戦場の跡… って・・・ 以前は官兵衛が初陣を飾った石碑とおもってたら
そうじゃなかったです。 

青山合戦跡
この解説にもあるように、織田信長の進軍に対し戦った場所なんですね…
多分、秀吉が山陽方面軍司令官になって播磨の国に来るのが1576~1577年だから、
それ以前の話なんでしょう。 秀吉の播磨侵攻には官兵衛は水先案内人となってる訳ですから…

僕と僕の家族の愛読している漫画 ”センゴク” でも、いよいよ 羽柴秀吉が山陽方面軍司令官に
任ぜられ、播磨の国に侵攻してきます。 彼が播磨、備前 備中攻めで本拠地にした姫路城は今
平成の大改修に入り、西の丸には足場がかかり始めました。

そして、秀吉の お屋方様 織田信長の作り出した組織、方面軍司令官と与力制度。
各方面に司令官を置き、各々に信長の部下を与力に付ける。 
これは、現在の会社組織と全く同じ。 社長に雇われている社員を上司に付けると言う制度。

山陽方面軍司令官:羽柴筑前守秀吉 与力:仙石権兵衛秀久 蜂須賀小六正勝 黒田孝高官兵衛 竹中半兵衛重治

北陸方面軍司令官:柴田修理勝家 与力:前田又左衛門利家 佐々内蔵助成正 不破 光治

山陰方面軍司令官:明智(惟任)日向守光秀 与力:細川兵部大輔藤孝 荒木信濃守村重
(摂津)

てな具合です。 これはほぼ信長の作り出した制度で、一騎駆けなんていう、豪傑無双の武士が
圧倒的なマンパワーで戦うのではなく、組織力を生かし、鉄砲や策をもって戦う制度です。

で、話は変わりますが、昨日の不毛地帯、最終回で壱岐正が会社を勇退するにあたり言う言葉
”これからは、組織の時代 ” もしかしたら信長もそれを伝えるべく、壱岐正よろしく
自ら歴史の舞台から去ったのかもしれません。

仕事の最中にこうやって風土の歴史に触れられ、あり難く思います。
今日も宅配しまーす。

すうぇーでんほーむ
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