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不毛地帯に重ね見る情景

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これは、私の大叔父であり、ボクの一族の棟梁であるT叔父の刊行物の一部です。
彼は再々このブログに登場する英雄で、上記は”特幹31会”の会報です。

かれは、若干17歳で旧制中学を中退し、年齢を誤魔化し、陸軍特別幹部候補生として、
志願し、戦地へ赴きます。台湾の高雄基地にいたようです。 
特攻隊として出撃を待つ間に終戦となり、自決をしようとし、上官に止められます。
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↑↑不毛地帯で自決しようとする壱岐正  彼を制止するのは、谷川大佐ですが…


そしてその後、日本に帰れたのに、戦地に留まり、シベリア抑留に合います。
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大地も凍りつく最果ての地で強制労働させられる壱岐正。

大叔父Tも、敗戦の責を感じ、又生きて帰った恥ずかしさで、日が暮れてから、帰還したらしいです。
で、実はT叔父の兄、Y叔父は実際にシベリアに抑留されました。
壱岐正は佐官なのですが、T叔父の兄、Y叔父は尉官で、本当に酷い労働だったらしいです。

共産主義を無理やり教え込まれたりしたらしいです。
もしかしたら、壱岐(瀬島)と一緒だったりして…

シベリア帰還後、壱岐は近畿商事に入社し破竹の出世と会社を急成長せさます。
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T叔父も私の実家の稼業を手伝い、家内工業程度の稼業を一気に株式会社にまで仕立てます。
死んだ祖母がよく言ってましたが、T叔父が朝から晩まで働き、取引先の折衝から
工員の世話まで一手に担い、T叔父の父、私の曽祖父が死んだ時も通夜を終わらせ働いていたと…

不毛地帯の最終回では壱岐は社長の大門と確執があり、共に会社を去ります。(多分)
T叔父も社長だったボクの祖父と確執を起こし、自ら大きくした会社を辞めてしまいます。

理由は二度と戦争を起こしたくない思いを地域に訴えて行くが為、
T叔父が議会議員になったかららしいです。

T叔父はその後、議会議員、議会議長となり、最後は町長にまでなってしまいます。
そして、これも壱岐正よろしく、4期努めた後、自分の後進をしっかり育て、
スパッと町長を辞めます。

で、壱岐正はシベリア抑留者の会、朔風会の会長になり、シベリアからの帰還場所であった
舞鶴に慰霊碑をたてたり、遺骨をシベリアに引き上げに行ったり…

で、T叔父は、この志願兵の会、 特幹31会の副会長となり、隊のあった篠山に
慰霊碑をたてています。 ますます壱岐正そっくり!! ここまで似てると恐ろしい…

壱岐もT叔父も共通点は、自己を犠牲にし、国家のために命を賭ける所です。
T叔父は あの頃の教育が自分をそうせしめたと言いますが、自己犠牲の心は
未だに持ち続けられています。

で、新聞のこんな記事を見つけました。

篠山市郡家にあった旧陸軍連隊の出身者や配偶者でつくる
「特幹三一会」の二十一人が二十日、跡地に建つ記念石碑を訪れ、
最後の戦友会を開いた。

毎年一回、各地で集まって旧交を温めていたが、高齢に伴う会員の減少などを受け、
一期生が入隊した六十五年前の同じ日、活動に幕を下ろすことにした。

戦時中、篠山には「第三一航空通信連隊」が置かれた。
一九四四年四月二十日、「特別幹部候補生」に志願した第一期生約八百人が入隊、
歩兵や通信の訓練を受けた。

前線に配属され、フィリピンや満州で亡くなった人もいた。
終戦を経て、各自の仕事に区切りがついた一九八九年、「特幹三一会」を結成。
泊まりがけで集まるなどしてきずなを深め、連帯跡地に記念碑を建立した。

最後の戦友会には近畿、徳島支部の二十一人が参加。
記念碑周辺の落ち葉を掃き清め、黙とうをささげた。
「自分のミスで殴られることは何ともなかったが、仲間も連帯責任をとらされるのがつらかった」
と徳島支部の松村長一事務局長(80)。

会員らは厳しかった訓練や敵機の襲来など、当時の記憶を語り合った。

今後も会報誌の発行は続ける。編集長の大阪市生野区新今里の佐藤長利さん(80)
は「もともと二十歳までの命と思っていた。
学業を捨てて兵になった人たちがいたことを忘れないでほしい」とおだやかに語った。


この水曜日の休みにT叔父に会いに出かけました。 
晴耕雨読の彼ですが、好物の酒を届けました。

こんな素晴らしい人物の血がボクに流れていると思うと幸せです。
さあ、不毛地帯、最終回はどうなることやら…

T叔父に負けず働きます。






すうぇーでん
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テーマ : ひとりごとのようなもの - ジャンル : 日記

コメント

No title

いやーこないだの不毛地帯は最高やったね。
泣きました。

確かに!

兵頭がサルベスタン鉱区を落札した瞬間
格好よすぎた!!
ボクも兵頭の真似してトレンチ着ます。
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