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家紋@スウェーデンホーム場長

僕の家の家紋です。
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二つ引き両紋 と言う家紋です。
足利尊氏や今川義元(彼も足利源氏の支流だから…) これまた今川の支流の
吉良上野介… まあ、そんな感じです。

よって足利源氏と言うことになるのですが…

実際は、赤松一族の傍系と言うのが有力みたいです(歴史家:僕のオヤジ談…)

赤松一族は村上源氏を称している一族ですが、由来はこうです。

伝承によると、村上源氏・源季房(季方とも)が播磨国佐用荘に配流され、
後裔の宇野則景の嗣子家範が赤松村地頭代官となったことから赤松氏を称した(真偽不明)
と言われている。

しかし、名和氏同様に季房から則景へと繋がる系譜の確証となる資料がないため、
近時、赤松則村(赤松円心)が北畠親房との縁により、
後醍醐天皇方に参戦した際に北畠家の属する村上源氏の末裔を自称することを
許可された説もある。(自称村上源氏)


で、赤松氏が、足利源氏の紋を持つ由来はこうです。

①南北朝時代に入ると、名将・赤松円心のもと、
 後醍醐天皇の建武の新政で守護国を没収されたことなどから
 新政から離反した足利尊氏に味方し、

 尊氏が一時形勢不利で九州へ西下している間は
 新田義貞の勢力を赤穂郡の白旗城で釘付けにして、
 延元元/建武3年(1336年)の湊川の戦いが尊氏を勝利に導く遠因を作った。

②嘉吉3年(1443年)の禁闕の変で後南朝に奪われた三種の神器の神璽を取り返し、
 南朝皇胤を殺した功により、
 赤松政則のときに再興を果たし、応仁の乱では細川勝元に与し、
 その功により播磨・備前・美作の3ヶ国を領する大大名にまで返り咲き、
 長享2年(1488年)には山名氏の勢力を播磨から駆逐した。

このどちらかの時の功により足利将軍家よりこの家紋を頂いたらしいです。

で室町時代に、今の飾磨区都倉という村から近所の今住んでいる村に移り住んだ傍系が
私の遠いご先祖様らしいです。

僕も、兄貴も、弟も、この紋の入った紋付袴で結婚式をしました。
(みんなオヤジのお古を着ていましたが…)
お古だけに汚い紋付でしたが、こういう風に考えるとむしろ感慨深い…

祖母の1回忌を控えてふとそんな事を思い出しました。
室町時代から住み続けたこの土地にいつまで居られるかなあ…

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