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梅雨時期@スウェーデンホーム

浮世をば 今こそ渡れ 武士(もののふ)の
名を高松の 苔に残して


僕の最も格好いいと思う辞世の句の一つ。 毛利の名将にて備中高松城城主
清水宗治の句です。
豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)に水攻めをされ、毛利との講和条件と、将兵を救うかわりに
かれは自刃します。

備中松山城には、ホームページ作成の折りに、近くに建築した現場があり、
撮影の帰りに寄ったことがあります。 冬だったので、こんな感じ。
備中高松城 1

もともと湿地帯に建った城で、湿地が天然の要害になり、中国方面指令の秀吉の進攻を防ぎます。
攻め倦んでいる間にも、毛利軍は小早川、吉川の両川、そして毛利輝元らが出陣し、
いよいよ一代会戦となる手前、

羽柴軍の両兵衛(半兵衛 官兵衛)と称された 黒田官兵衛が水攻めを提唱。
低湿地の城の廻りに土嚢を積み、川の水を流し込み、城ごと浸水させる計画を敢行します。
最早、土木工事と言える攻城戦を突貫工事で完成!

折りしも今日の今頃のような梅雨の季節の豪雨の増水で、見事城を水没させます。
そのときの風景(多分)が これ。 高松城にありました。
備中高松城 3
この風景を信長に見せるべく、又、毛利との一代決戦に望むべく秀吉は信長に足を運ぶ要請!
自分の攻城戦の見事さを見せたかった訳です。

信長は第一陣として、堀久太郎を派遣、二陣として惟任 光秀(明智 光秀)を派遣。
自分はのんびりと行軍します。

そうこうするうちに、毛利側から内密に講和の申し出があります。
実質、毛利は財政的に破綻、6万といわれる全軍のわずか2万しか引き連れていない。
秀吉は信長と共に天下布武がごとく戦うつもりですから、

備中、備後、因幡、伯耆、出雲の割譲と清水宗治の切腹という無茶な条件を提示し
交渉決裂を狙います。 しかし、毛利はあっさり内諾…

信長が来るまでに戦いが終わると元も子もないので、石見、安芸もつけろと交渉しようとした時、
秀吉の陣に舞い込んだ乱破から 明智の謀反 信長の最期が伝わります。

かの有名な中国大返し、秀吉の台頭が始まるわけですが、
毛利に悟られぬ様、備中、因幡、伯耆の割譲、清水宗治の切腹を条件に和睦を締結。

清水宗治が首記の見事な辞世の句で果てた瞬間、秀吉のサクセスストーリーが一気に始まる。
そんな 歴史が変わった 大舞台の傍に スウェーデンホームはそっと建っています。

折りしも雨が降り、ぬかるんだ造成地を歩いた今日、何故かこのことが頭に浮かびました。
今度鳥取に波乗りに行った帰りに、相棒といって来ようと思います。

やっぱり秀吉大好きなスウェーデンホーム場長でした。
左が秀吉の具足 右が信長の具足です。
羽柴と弾正


スウェーデンホーム
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テーマ : 歴史 - ジャンル : 政治・経済

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